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ビッザリーニ

1961年にフェラーリと決別した5人はその後どうなったんでしょうか

カルロ・キティはATSで失敗、スバル・コローニでのやっつけ仕事も大失敗
それでもレーシングエンジンの設計者としてはかなり有名でした

でも5人の中で最も成功したのは何といってもジョット・ビッザリーニ

bizzarrinilogo.jpg

彼の足跡を辿ってみます


1926年7月6日、イタリアのリヴォルノの裕福な家庭に生まれる

1953年、大学の工業科を卒業
在学中の彼の研究テーマはフィアット・トポリーノの改造で、
エンジンパワーを上げ、ハンドリングの改善に没頭した

1954年、アルファロメオに就職、希望していたエンジン開発ではなく、
ジュリエッタのシャシー開発を命じられて失望する
後に志願して新型車の開発部門に異動、テストドライバーも兼任

1957年、アルファロメオを辞めてフェラーリに入社
すぐにロードカー部門の責任者に抜擢される

エンツォ・フェラーリ曰く
「こんなイカれたトポリーノを作るヤツはフェラーリに来るべきだ」

ジョットがフェラーリのチーフエンジニア兼テストドライバーだったのは5年間
その間、GTOを含む250シリーズの開発の中心人物でした

1961年、あの騒動に巻き込まれてフェラーリから追放
カルロ・キティと共にATSを結成してフェラーリに対抗するもわずか1年で解散

atslogo.jpg

1962年、同じく追放組のヴォルピと250GTブレッドバンを製作
フリーのエンジニアとして活動を開始

1963年、ランボルギーニと契約し、3.5リッターV12を設計
このエンジンの基本設計はムルシエラゴまで継承される

1964年、自らの自動車メーカー、ビッザリーニを立ち上げたが5年で倒産

bizzarrinip538bar.jpg

その後は数々の自動車メーカーへのコンサルタントを行う

現在はローマ大学でエンジニアの指導を行っています


凄いですね・・・

フェラーリ250GTOとランボルギーニV12を開発した男

エンジニアとしては神レベルです

でも、その神の口癖は

「私はカーデザイナーではなくただの労働者に過ぎない」

ここがエンツォやエジソンスティーブ・ジョブズとは違うところ

キャロル・シェルビーコーリン・チャップマンよりは有名になれたと思うんですけどね

偉人として歴史に名を残すには強い自己主張も必要ってことでしょう

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ビッザリーニ・ストラーダGT5300

数台しか作られなかった貴重なモデル

(画面右下のYouTubeロゴをクリックすると別画面で開きます)

  

ランボルギーニ・カウンタックLP5000S

DVDの宣伝用の動画
渋いです

  



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